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■ 「運」は求めるものではなく、「運」に選ばれよ 「何かいいことないかな」と口癖のように言う人がいます。心のどこかでラッキーなことが降ってこないかなと願っているのでしょうが、何もしないで偶然いいことに出くわすなんてことはそうあるものではありません。その人はどこかに運が落ちているかのような感覚なのです。ですが、他力本願な気持ちでいる限り、どこへ行っても運を見つけることはできません。 「運をつかむ」とか「運を逃がす」というと、運が何か物理的なもの、実体のあるもののように聞こえますが、そもそも運を目に見える形でとらえることはできません。しかし、運をつくる素材は具体的にいくつもあるのです。 運がいいと言われる人は、ツキや運をもたらす素材をたくさん、ふだんの生活や仕事の中で持っています。素材といっても、別に難しいものではありません。運をつかむためにするべき工夫や努力の仕方のことを言っているのです。 ツイてる人はかえって運をあまり意識しません。運に恵まれている人は肩に力が入っていないのです。むしろツイていない人ほど運やツキを意識します。ぐっと力をこめて「ツキよ、来い!」と念じたり祈ったりするものです。 よく勘違いするのは、運の素材を身につけることをしないで、ただ漠然と運に憧れたり運を求めたりしてしまうことです。これでは当然ながら状況がよくなることはありません。だんだん何をしてよいのかわからなくなって、ますます運から見放されてしまうのです。 ★つまり、運を目標にする人には運はやってこず、運をつくる素材を日々見つけられる人が「運に選ばれる」のです。 ■ 一生の「運の量」は決まっていない ものすごくラッキーなことがあると、「一生分の運を使い果たした」といった言い方をしたりしますが、それは、「こんなにいいことがあったら罰が当たるんじゃないか」という深層心理が言わせているのでしょう。 人が使える運はだいたい決まっているというイメージを持っている人も少なくないようですが、実際は鉱物や石油資源のように有限というわけではありません。別に人生における運の絶対量が決まっているわけではありません。 ★運の量は本来、無限なのです。 考え方や生活していく姿勢によって、運はいくらでも変わります。それが運を呼び込む条件を備えていれば、運は自然にやってきます。考え方や心構えの違いで、運がやってくる人とそうでない人に分かれるだけです。 「一生分の運を使い果たした」と思いたくなるような大変幸運なことが起こっても、続けてまたすごい運が来ることはありえるのです。 しかし、大きな運に恵まれた時に「そんないいことが続くわけがない」と思って自分を戒めるのは、けっして悪いことではありません。 運は気まぐれなので、そうやって気を引き締めないとすぐどこかへ行ってしまいかねません。 ★その意味では「一生分の運を使った」と思うような謙虚さも大切です。 ■ 「運」には大事な3つの要素がある ★運を決定する大事な要素が3つあります。 人との関係において感じたり考えたりする「相互感」、全体を見直す「全体観」、変化のタイミングをとらえる「時の感覚」、この3つをしっかりふまえていれば、運やツキの波が感じられるようになります。 この時、「相互感」「全体観」「時の感覚」は、それぞれバラバラにあるのではなく、3つのものは同時に互いにつながって動いています。 運はそれを意識した時、すでに何らかの形で存在しています。運がいいとか、悪いとかは、それをどういう方向へ持っていくかなのです。 「いい流れだな」と思えば、それが持続する工夫をする。「よくない流れだな」と思えば、それを修正していく。その時に「相互感」「全体観」「時の感覚」をいかに持てるかです。 自分の運を支配するのは墨様でも他人でもありません。 運を運任せにすると、運の後を追いかけることになります。運の流れを作っていくのは自分なんだという気持ちを持つことです。運が悪ければ、それを自覚して修正する努力をすればいいだけです。 ★「相互感」「全体観」「時の感覚」を持って流れを感じ取る、それが運をとらえるということです。 |
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