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■「偶然の運」と「必然の運」がある 宝くじの一等が当たるのはものすごく低い確率です。それを1回のみならず2回も当てた人がいるそうです。一等や二等などの高額賞金を何回も当てたという人は他にもいるらしく、中には宝くじに当たるためのノウハウやコツを雑誌やテレビでしゃべっている人もいます。 こういう人を見ると、あたるための秘訣があるのかなと思ったりしますが、実際は何か具体的に方法があるわけではありません。当てた人が語るコツのようなものにならって、宝くじを買っても同じように高額の当たりが出ることはありえません。この手の運は本来学べるものではないからです。 よく考えてみれば、一等は数本しかないわけで、みんなが仮に当てるコツを学んだとしても数人にしか当たらないという矛盾が起こってしまいます。そのことをもってしても、宝くじを当てるコツなどないことがわかります。 運とはしかるべき心構えや行動の上にやってくるものですが、宝くじの当たりはそうした運とは違って偶然といったほうがよいものなのです。 もちろん、当たった人は運がいいと言えますが、あくまでも確率上の偶然に近いものなのです。 こうした運は頑張っても手に入るものではありません。本人の姿勢とは関係のないところで起こる偶然の出来事として、とらえたほうがいいでしょう。 それをあえて「偶然の運」と言うならば、その一方には、ある法則を持った「必然の運」があります。 これはふだんの生活の姿勢や意識の持ち方によってやってくる運です。本来語られるべきは、こうした本人の努力で呼び寄せられる運なのです。 ★偶然の運には頼らない。 ■ 情報のないところで当てていく 「感じる力」があれば、考えるより感じて判断したほうが的を射ますが、最初に感じたことひとつで判断するのは、慣れていないと怖いものです。不安や怖さをなくすには「感じる力」を磨くしかありません。「感じる力」が増せば、判断が当たる確率は必ず高まるはずです。 では、ふだんの生活で感じる力を鍛えるにはどうすればいいか。 ひとつは情報や知識のないところで意識的に当てていくことです。たとえば初対面の人と会った時、家族構成は? どこに住んでいるのか? 趣味は何か? といったことを推測してみる、これも情報や知識のないところで当てるということです。 物事を判断する際、私たちは判断材料として情報や知識をできるだけたくさん集めようとします。それが少ないと不安になりますが、あえてそうしたものに頼らず判断や推測を行うようにするのです。 「人間は考える生き物です。動物は考えることができない。つまり考えることは人間だけに許された特権です。それが人間であることの証であり、だからこそ考えることは大事である」と哲学者は言います。 このように考える行為は非常に尊重されています。ですが反対に考えることによるマイナス面はあまり語られることがありません。 「考えるな、感じろ」などと言うと、「人であることをやめろと言うのか、動物のようになれと言うのか」と思う人もいるかもしれません。 ★しかし、実際、情報や知識に頼りすぎると判断が間違いを犯す確率は高くなるのです。考えれば考えるほど、的を射る勘は鈍くなります。 生きとし生けるものは感ずる力をなくすと、生き物としてのバランスを失います。 情報や知識はどんどん捨てていったほうがいいのです。情報や知識に依存して判断の的を射ても、その時使われた情報や知識がその後もずっと判断材料であり続ける保証はありません。 しかし的を射る「感じる力」があれば、それはいついかなる種類の判断に際しても臨機応変に使えるのです。 ★情報や知識に頼らない判断力は、すべてに応用が効く。 |
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