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嫁姑(かこ)の争いは百年と言われますが、夫もこの問題の外にいることはできませんので、男女全体の問題と言えるでしょう。 それならなおのこと、何とか知恵を出し、良い方向付けをする必要があります。 いかなる人も、自分が手塩にかけて育てた @ 我が子と一緒に住んで暮したい。 A 我が子に看取られたい。 という気持ちは同じで、そして いかなる人も、自分の住んで育った、我が家で死にたい。 と願い、そして、いかなる人も死は必ず訪れます。 これからしますと、まず、姑(しゅうとめ)である人も、現在、嫁と言われる人も、冷静にこの事実を知ることが大切です。 言うなれば、必ずと言っていいほど、最後は姑は嫁の世話になるのであり、それこそ死ぬまで切っても切れない深い縁で繋がっていることだけは確かであります。 ここでの表題は表向きは「嫌なタイプの姑と同居するな」ですが、私が望んでいるのは、嫁と姑が一体になって、幸福で一度しかない人生を、ともに手を取り合って、にっこり笑って送っていただきたいです。 それには、まず、 @ こせこせと相手のことを気にかけない。 A 互いに何か目標を立て、それに打ち込む。 B 相手の良識を信じ、へんな疑心暗鬼にかられない。 C 相手の良いところを、それも積極的にほめる。 D 大筋の仕事の分担を決め、ときには手伝う。 などの意識を高めた思いやりが必要です。 本来、結婚して最初の数ヶ月は同居し、できればあと、いずれかが同居を必要とするまでの間、経済が許せば近くにでも別居することです。 あとになっての同居は必ずと言っていいほど、相互理解に欠けるところが出てくるものです。 ひとたび何かで疑心暗鬼にかられますと、救いがたい状態になるのは、みなさま方もよく見聞きしているのではないでしょうか。 あとになっての同居がなぜ難しいかと言えば、それは結婚を決意した「若き花嫁さん」は純粋無垢な気持ちから、お姑さんによく思われたい、お姑さんと仲良くやっていきたいと、それはもうほとんど覚悟の域にまで達していて、本当に心の底から願っているものですが、最初から別居している「花嫁さん」は、世間のいろいろな雑音に染まっていることと、年をとりますと、若いときほどの順応性がなく、純粋さも失われているからです。 こうなりますと、年月の隔たりがあって、簡単には馴染めないものです。 それが、結婚して最初の数ヶ月でもお姑さんと一緒に生活した習慣があれば、気心も自然と知っており、新婚生活のその当時の気持ちも蘇ってきて、お互いにに気持ちに一体感があるため、その後の同居もあまり問題が生じません。 「自分も悲しいサガを背負っているが、相手も同じなんだ。」という気持ちを少しで持てるようになりますと、お互いに理解し、許し合い、手を取り合って夫を助け、そして一家繁栄に向け、明るい未来がきっと待っていると確 信します。 |
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